サイコ野郎の日本株投資日記

25歳で株を始めた男の備忘録

引き算の美学

いよいよ働き方改革関連法が国会で可決となった。

 

 

働き方改革関連の銘柄チェックのため、今日の午後は図書館に引きこもってネットサーフィンやら経済誌を漁っていた。

 

 

株の研究をしながら、やはり自分の働き方についての疑問が重くのしかかってくる。

 

働き方を改めて、充実した人生を歩むにはどうすればいいか。

 

そんなことを考えていると、辿り着いた1つの答えがある。それは引き算の重要性だ。

 

 

世の中にはやらなければいけないことが沢山ある。

 

上司やクライアントからの注文に始まり、掃除や洗濯など基本的な家事まで、やらなければならないことは沢山ある。

 

しかし、時間は有限であることを忘れてはならない。

 

真にやらなければならないことは何か。

 

 

この問いは、仕事の優先順位の議論よりももっと原始的だ。

 

すなわち、何を仕事とするかという議論である。

 

 

一般的には、我々公務員には年度初めに事務分担が示され、前任者からの引き継ぎに則り淡々と事務をこなしていく。

 

 

この当初示される事務分担はかなりざっくりとしたもので、詳細は実際にやらなければわからないことが多々ある。

 

役所というのは前例踏襲が大好きで、前任者の仕事を見ながら時には意味や根拠を度外視して仕事を進めることがある。

 

 

一通り仕事をなぞって行くと、「なぜこういうやり方をするのか」や「これは何のためにやるのか」と言った疑問が出る。

 

こういった疑問は仕事への慣れに伴ってだんだん消えて行く。すなわち、思考停止になる。

 

決まりきった仕事をする上で、思考停止は有効な手段とも言える。なぜなら、考えながら仕事をすると時間がかかるからだ。

 

ただ、思考停止する前に、自分の中に沸々と湧いてきた疑問に対して、きちんと向き合う職員と、見過ごして忘れ去ってしまう職員には、やがて大きな差が生まれるだろう。

 

そして、これからは思考を停止して淡々と事務処理を行っている自分を第三者目線で冷静に観察して、職場の動きを俯瞰し、逐次業務内容を再考する姿勢が求められるだろう。

 

当然、この再考する姿勢の背景にあるのは、引き算の美学だ。

 

余分な物を捨てて、本質的に必要なものを浮き彫りにする力が大切なのだと思う。

 

 

これを政治学で言うところの「小さな政府」すなわち最低限の行政を推進して、あとは市場の原理に任せてしまうと言う考え方に結びつけるのは、論理の飛躍があると思うし、少々乱暴な議論だと思う。

 

この辺を勘違いしている老害も多い。

 

 

働くの語源は、傍(はた)を楽にする

という所からきているそうだ。

 

この表現を借りるならば、今までは傍を楽にするために、必要以上に本人が苦しんでいたと言える。

 

 

働き方改革の推進によって、傍を楽にするとはどういうことか、どうすれば楽にさせてあげられるのか、はたまた自分は苦しんでいないかといった肯定的な疑問や議論がそれぞれの職場で起きることを期待している。